階段下のがらくた部屋

ハリー・ポッターの感想・考察から日々の雑事まで。だったのが色々あって将棋とか。

羽生三冠と「茶の本」  

羽生三冠の人柄(性格)や強さは30年以上付き合いのある人を持ってしても「よくわからない」と言われるものですが
確かに強烈なものがあるにもかかわらず、具体的にとらえられない、言葉で表現できないのはなんでかなー?と
ファンになって以来ずっと思っているのですが、
例示するための類型が存在しないからかもしれないなーと、最近思ってます。

何かを理解したり、誰かに何かを説明したりするとき
別の(すでに知っている)なにかに置き換える、ということは誰でも日常的によくやることだと思います。
まったく未知のものであっても身近なものに置き換えて
「●●みたいなモノ」とすると案外簡単に未知だったものを理解したり受け入れたりができるようになるものですよね。

でもそういう「●●みたいなモノ」が存在しなかったら、未知なものは未知のまま。
早計な場合には「存在しない」とまでされてしまうこともあると思うのです。
羽生三冠の”つかみどころのない”でも強烈な存在・強さというのも、まさにそういうことなのかなーと。


…で。
先日茶道に興味があるという人と話していて
そういえば過去にこんな本読んだっけ、と思い出して本棚から引っ張り出してぱらぱらとめくってみることがありました。
『茶の本』
東京芸大の父と呼ばれる幕末から明治を生きた思想家、岡倉天心の著書です。
「茶の本」というタイトルなので当然お茶(茶道)について描かれていますが
欧米に日本とアジアの文化、哲学、思想、美学を紹介するのを目的として書かれ、原書は英語でアメリカで出版された本です。

私の本とは訳者が違う版がパブリックドメインとして公開されています。
「茶の本」Kindle版(無料)

読んだ当時は美術的観点から、この本の中で説明されているある概念に感銘を受けたので
そこを改めて読んでみたら、これは羽生さんがあてはまるんじゃないか??とちょっとしたショックというか
羽生さんを形容できるかもしれない単語を見つけたことでドキドキしてしまいました。

以下、パブリックドメインですのでちょっと長めですけども贅沢に引用します。


物のつりあいを保って、おのれの地歩を失わず他人に譲ることが浮世芝居の成功の秘訣である。われわれはおのれの役を立派に勤めるためには、その芝居全体を知っていなければならぬ。個人を考えるために全体を考えることを忘れてはならない。この事を老子は「虚」という得意の隠喩で説明している。物の真に肝要なところはただ虚にのみ存ずると彼は主張した。たとえば室の本質は、屋根と壁に囲まれた空虚なところに見出すことができるのであって、屋根や壁そのものにはない。水差しの役に立つところは水を注ぎ込むことのできる空所にあって、その形状や製品のいかんには存しない。虚はすべてのものを含有するから万能である。虚においてのみ運動が可能になる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部分を支配することができるのである。

道教徒のこういう考え方は、剣道相撲の理論に至るまで、動作のあらゆる理論に非常な影響を及ぼした。日本の自衛術である柔術はその名を道徳経の一句に借りている。柔術では無抵抗すなわち虚によって敵の力を出し尽くそうと努め、一方おのれの力は最後の奮闘に勝利を得るために保存しておく。

(「茶の本」第三章 道教と禅道 著:岡倉天心/訳:村岡博)


羽生三冠の強さって、こういうことなのかなー…って。
「虚」は概念であって、人柄や強さの類型とは成り得ませんが
でも強さの一端を理解するためのとっかかり、としてはアリ、かなあ、と。
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